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質屋が解説「御徒町とハットン・ガーデン」

 御徒町といえば、日本の宝石・ジュエリーのメッカ。大小さまざまな宝石店が軒を連ねる日本最大級の宝石の街として有名ですね。

JR御徒町駅を中心に2000軒以上の宝飾品問屋、加工場があると言われますが、一般の方が気軽に入れるお店ばかりではありません。「素人さんお断り、卸売りのみ」というお店も数多くあります。

 

 歴史を紐解きますと、御徒町付近は浅草寺や上野寛永寺など無数の寺社仏閣が密集していますので、昔から小間物職人や仏具職人、刀剣の装飾を作っていた錺(かざり)職人も多く集まってきました。明治中期になりますと、指輪を製造加工する業者も登場します。第二次大戦後には米兵が上野で時計やアクセサリーを売買したりして、やがてアメ横の母体へとなっていきました。

そんな環境下で、上野や御徒町では戦後いち早く時計・宝飾業者同市の交換会である「交換市」(かっこよくいいますとオークション)が開催されるようになり、宝飾品取引の中心地としての地位を確立していきます。

1956年(昭和31年)には時計関連卸12社で結成した「仲御徒町問屋連盟」が御徒町駅前に問屋街をつくることがきっかけとなり、関連業者が駅前にどんどん集結していきました。高度経済成長に伴い、時計卸業者は副業的に取り扱っていたジュエリーに業種転換を図っていきます。街全体がジュエリーのショールームと化していき、現在の姿になっています。

 一方、イギリスにあるハットンガーデンも歴史あるジュエリーの街です。宝石、特にダイヤモンドの流通はユダヤ資本に握られていますので、この街はユダヤ人の街とも言えます。

キリスト教会が利子付の貸付を禁じた時代、もともとキリスト教会の権威を認めていないユダヤ人が金融業の中心勢力になっていきます。そんなユダヤ人が英国に渡り、確たる地位を築くまでには1000年近くの歴史があります。
ハットンガーデンは御徒町と違って割と小規模経営の庶民的なお店が多いように思います。裸石やパーツを取り扱う店は少なく、きちんと製品になったものが中心に並んでいます。数年前に筆者も訪れたことがありますが、宝石店が並んでいる割にはきらびやかさがなく、どちらかいえば閑散として「FOR RENT」(空き家)の看板も目立ち、寂れた印象を持ちました。

しかし、七ツ屋志のぶの宝石匣の作中に登場するようなお洒落なアンティークジュエリーショップもいっぱいありますので、ロンドンに行かれた際にはぜひ一度散策してみてはいかがでしょうか?

 余談ですが、じつはジュエリーショップだけでなく、昔から質屋も多いのがハットンガーデンの特徴です。先述のように金融業はユダヤ人が中心なので、ユダヤ人が経営する庶民金融の質屋が街に多く存在します。

担当:丸万質舗 川崎