こんにちは!しちまるです。
桜も散って、GW直前、皆様いかがお過ごしでしょうか?なんだか最近、ありとあらゆるものが値上げですよね。コンビニのお弁当も10年前の400円台から600円を超えるものが普通になりつつあります。仕方がないのでGWは安近短で乗り切りましょう!
はてさて、講談社Kiss6月号が発売になりました。我らが二ノ宮知子先生の『七つ屋志のぶの宝石匣』ももちろん絶賛掲載されています。今回の扉はこちら、じゃじゃーん!
©️二ノ宮知子/講談社
和菓子の練り切りに囲まれる志のぶちゃん。扉のアオリにある、――志のぶの愛する「甘い宝石」――とは、やはり和菓子の練り切りのことなのでしょうか。
このあたりは、どうぞご購入のうえ、実際にお読みくださいませ。人情噺にみたらし餡がとろりとかかって、酸いも甘いも、なんともいい味を出しております。
あと、最終ページの柱コメント。「特攻」と書いて「ぶっこみ」と読ませる。さすが講談社ですね。甘味処の暖簾をくぐったつもりが、最後にちょっと週マガの風が吹きました。
さて、甘い宝石の話から、少しだけ昭和の湿気を含んだ話へ。今月は、どうしても触れておきたい二人の漫画家がいます。
昭和101年のメメクラゲ――僕たちはみんな昭和軽薄体だった
東海林さだおさんとつげ義春さん。お二人の訃報は一月ほどの間をおいて届いたのに、僕の中では奇妙なほど一続きのものとして重なっていた。理屈で理解するより先に、何かが決定的に終わったことだけは、もうわかっていた。
僕にとって、東海林さんは数十年来の「日常の伴走者」であった。出会いは1980年代。実家にあったエッセイ『ショージ君の料理大好き』だったと思う。昭和という時代が持っていた、どこか楽観的で、それでいて知的で意地汚いエネルギー。少しくらい情けないことも、食い意地の張ったところも、どこか可笑しみへと変えてしまう。その筆致に、僕は長いあいだ励まされてきた。
一方で、僕はつげ義春さんを長く拒絶し続けてきた。『ねじ式』の断片的なイメージは、あちこちの漫画で引用される「記号」としてしか映らず、そのたびに、分かる者だけが内輪で盛り上がっているように見えるのがたまらなく嫌だった。僕は作品そのものより先に、その作品を取り巻く空気を拒んでいたのだと思う。
その拒絶が変わったのは、つい一昨年のことだ。とはいえ、入口は漫画ではなかった。ふと手にしたのは随筆集の『貧困旅行記』で、写真が何枚か添えられた本だった。つげ義春をようやく読むというのに、肝心の入口が漫画ではないのはどうなのか、と自分でも少し思った。だが、僻地の温泉宿の、カビ臭く湿った畳の匂いまで立ちのぼってくるような文章に、僕は完全に射抜かれてしまった。
この二人に共通していたのは、漫画家として培われた「ネームを切る」という行為の凄みではないかと思う。無駄な説明を削り、余計な言葉を捨て、それでもなお残る仕草や間だけを、コマの中に置く。東海林さんの軽妙な一言も、つげさんの沈黙に近い切実さも、「言いすぎない力」によって支えられていた。
もちろん、二人はまったく違う。東海林さんは食卓の可笑しみを掬い上げる人だったし、つげさんは、人があまり見たくない停滞ややるせなさを静かに差し出してくる人だった。東海林さんは、削ったあとに笑いを残した。つげさんは、削ったあとに沈黙を残した。だが、そのどちらも、余白を読者に手渡す表現だった。
長年、日常のそばにいてくれた東海林さんと、ようやくその真価に触れたばかりの、遅れて出会った先達のようなつげさん。二人の死が同じ年に重なったことの意味を、僕はまだうまく言葉にできない。
僕たちの昭和101年。
まだどこかに残っていた昭和の湿気と湯気が、ふっと薄くなった気がした。
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しちまるでした。またね〜〜














